報われない努力の末路
考えたことがあるだろうか。
あなたが思ってるその努力というのは、実は努力でもなんでもなく、ただのやせ我慢である可能性が非常に高い、ということを。
そして、そういう種類、誰かにけしかけられて、又は世間一般で言ういい人間のふりをして一生懸命やる、というたぐいの努力にはなんの意味も意義もないということを。
無理をする人。
足りてない自分が嫌いで、ひたすら言われたことを受け止め、向上し続けるよう動き続ける。
すぐにうまくいかなくなる。
そして次第に自責していき、潰れる。
すぐにうまくいかなくなるのは当然で、誰もがそうである。
大事なのは、うまくいかなくなっても自分を責めないという点であるのだが、ここについて述べている文献が少なすぎる。
僕はADHDで双極性障害を持っているとてもややこしい人間だ。
すぐに飽きる。というか、このまま続けていても何にもならない、とすぐに絶望する。
構造が理解できないと何もできないから、物事を理解するスピードが大変に遅い。それゆえよく怒られる。そして、それにとてもとても傷つく。
が、3日坊主と蔑まれるのは嫌なのでかなり耐える。
その結果、それが原因で過去に自殺未遂をしたし、鬱も発症した。今でも治療中である。
こういう気質までも努力でどうにかなるものだろうか?努力の末路がこれである。
はっきり言って、ならない。
マイノリティであるから、こういう病気はかからないと痛みがわからないから、人には理解されにくい。それが尚更拍車をかける。
そこで、僕は吹っ切ることにした。
嫌な人とは徹底的に付き合わない。
どんなに無理だと言われたことでもまずやってみる。
辞める勇気を持って、嫌だと感じたらすぐに足を洗う。
今はこれらを試しているところだが、当然のことながら全くの暗中模索。すぐにできるようにもならない。
迷走してるようにしか見えないとよく言われる。
または、他人から見たら全くなまけているようにしか見えないだろう。
だが、僕は言いたい。自分に似た気質の、生きづらさを持って生きている人たちに言いたい。
誰もわかってなんかくれない。
誰も責任なんてとってくれない。
それがたとえ親であれ。
死にそうに辛い日々なら、やりたいことしてくたばるほうがよっぽどマシだ。
心理的ハンデを背負ったすべての人へ。
目に見えないハンデを背負った人へ。
良心なんて時代で変わる。
モラルなんかもそうだ。
今自分の思うことに従っていけばいい。
間違いなんて犯し倒したらいい。
あなたは、その他大勢の人間なんかよりよっぽど優しさと責任感を持った人間なのだから、ちょっとくらい楽してもいい。いや、盛大に楽をしよう。
これは心理的健常者への宣戦布告だ。