根無し草のスカポンタン

死ぬことすら気に食わねぇ

嫉妬とSM

新年元旦早々非常にややこしい話だが、あまりにも密度が濃い話だったのでここに残しておく。

 

 

 

今日、とある女性とそれぞれの過去について話をしていた。

そして過去の恋愛の話になった。

 

彼女の過去一番好きだった相手は、とんでもないサディストであり、これがどれくらいとんでもないかというと一般的な範疇で知られてあるSMプレイをすべて行うくらい、である。

ひたすらスワッピングしたり、縛って叩いてもうそれは泣かし倒したり、白昼堂々全裸で歩かされたり…

 

彼女は怖くて怖くて、本気で泣いてその恐怖におののいていたそうだが、逆にまたその感覚がたまらなかったらしく、最後にくるセックスでは相当に燃えていたらしい。

そして相手の男性が本当は自分を心では愛してはいないことも分かっていたようだ。

その男性は過去の経験により完全に歪んでしまって、そういうことでしか自分を解放できないようになっていた。

そしてその相手として、彼女が適任だっただけである。

 

しかし彼女は、その彼を本気で愛していた。

今となってはSMはもうまっぴらゴメンであると話していたが、その時に撮られた写真は消せないでいるらしい。

 

俺が興味深かったのは、そのような壮絶な話を聞いた後に沸いた自分の感情だ。

俺はSMの嗜好は特にないし、彼女も正直俺は相当引くと思ってた、と言っていた。

しかし、当の俺はその話に嫉妬していたのである。

どれくらいの嫉妬かというと、もうその時近くに誰かいたらその人をめっためたに殴り倒してしまいそうなほど、脳みそが燃えて溶けてしまうほど、とでも言おうか。

ずっと変な動悸がしていた。

 

その理由が不思議で仕方なくて、嫉妬したことをその後彼女に正直に話してみた。

そしたらこれまたとても不思議で、今度はその話を聞いた彼女がストレスで湿疹が出て吐き気がしてきた、と言ってきた。

その感覚は、俺が感じたものと同じだった。

苦しみと痛み。

同じ意識を共有していたということである。

電話で話していたのに、だ。

 

そして、なぜ俺は嫉妬をしたか。

 

俺は長いこと自分の精神性に悩んでいる。このブログを始めたのも、そういう自分と向き合うためだ。

この嫉妬の源泉は、俺の心理の深いところを解明するキーになると感じ、なるべく冷静に分析し、こう解釈した。

 

それは、自分がそれまで感じ得なかった感覚(実は深層心理にはずっとあった。ここがコア)を相手はわかっていて、それを表現できているということに対しての嫉妬であるということ。

 

俺は基本的に自分が幼少期の頃の親に対して相当な怒りを持っていて(褒めてもらうことがほとんどなかった)、それが大人になった時に怒りの反転作用として自責につながり、最終的に鬱に発展している。ここまではわかっている。

この説明をした理由は、彼も話を聞く限りおそらく俺と同じような精神性の持ち主であるからだ。つまり、似た感覚を持った人間だからだ。

そして、彼には自分の心の中にある怒りを分かりやすい形に表現し発散する術があったということ。ここに嫉妬した。

そしてそれ以上に、彼女はそれを受け入れられていたということに対しても、である。

相手を痛め、それでも求めてくる相手に対し愛情を感じ、求め合う。

痛めつけられ、だけどそこに繋がりを感じ、苦しいし逃げたいのに、たまらない。

常識を逸脱した、しかし各々の心理に非常に正直で解放的なその行為が出来てしまっているということに嫉妬したのだ。

嫉妬し、同時にとても羨ましかった。

俺も正直に自分を表現したい。

本当の素の自分を認めてもらいたい。

モラルを飛び越し、身も心も裸の状態で素直になりたい。そう思ったのだ。

 

そしてその後にやって来た不思議な共感の感覚について。

 

彼女に嫉妬に心が完全に支配されかけていた俺の話をしたら、俺が感じている体の変化ととても似ている変化が彼女にも起こり、具合が悪くなったという。

ここで感じたのは、これはSMの悦びの感覚に非常に近いものなのではないか、ということである。

 

伝える側、伝えられる側。

その意識が強く結びついて結果彼女は倒れかけていた。

しかし、こうも言っていた。

でも嬉しかった、と。

 

これは、相互理解が出来たからであると感じた。

そしてこの苦痛を伴う一体感は、SMのそれにとても似ているように思えた。

 

俺は狂気じみた人に強い憧れを持っているのだが(自分にはそれがないと感じていたから)、今回の体験で、人には大なり小なり狂気があり、それが発現するキッカケは何かはわからないが表に出てくることは容易にあり得るということを学べた気がした。

そして、それ故憧れを持つ必要はそれほどないと感じた。

 

深層心理と対峙し、認め、それを表現すること。本当に自由になること。

これが自分には必要なことであると確信した。

 

 

 

長くなったが、言いたいことは結果単純で、素直になれば人生は楽しくなるのだな、ということである。

 

 

 

素直になりたい。

バカになって、自分を認めて、そこから世界を見たい。