根無し草のスカポンタン

死ぬことすら気に食わねぇ

死にたくないけど生きたくない

こういう考えの人がとても多いように感じる。

かくいう俺もその1人だ。

 

生きていく上で利益と感じるものがなく、かといって死を選ぶほどに困窮した理由がない。

そしてこういう状況はとても陥りやすいのだろう。

 

頑張っても報われない

どんどん悪い方へいってしまう

こんな思いをするくらいならもう死にたい…

 

そして最終的に

 

死ぬほどではない。つまりは、生きたくない。

まとめると何もしたくない。

 

ということになる。

 

散々ネットを徘徊し、本を読み、何か無いものだろうかと日々探しているが、大体どこに書かれていることも同じ。

 

今までの生き方が今に反映されてるだの、

嫌な人生の中で楽しみをいかに見出すだの、

誰かのためにだの、

社会のためにだの、

自分は恵まれていると思えだの、

幸せは解釈の仕方で決まるだの、

そんなことだ。

 

本当に消極的で内向的なことしか並べられてないように感じる。そしてどれも本当に身も蓋もない内容だと思う。

 

はっきり言って、今の俺にはなんの目標もない。というか元々目標とかすごく嫌いな人間である。なぜなら達成できたことが一度もないから。

しかしこのままなんとなくで生きて行くのは違うとずっと思っていた。

過去にいた土地では人並みの生活と稼ぎがあったが、それに対し何一つ満足していない自分には薄々気が付いていた。

だから、そんな自分を変えようと元々手元にあった全てを置いて、うすーい希望を先に見て上京してきだというわけだ。

しかし、あっという間に現実に叩き潰された。まだ1年経ってない。

しかし、もう1年経ちそうだ。

それくらいの期間である。

成れの果て、現状はフリーターとニートの間、というところだ。

 

しているバイトもはっきりいって全く好きなことでもないし、得意なことでもない。

本当に金に困り取り急ぎ始めたものだ。

 

本業の方も全く振るわない。そもそもずっとやりたいことではなかった、と8年目にしてようやく確信した。これに気づけたのはでかい。無理して上京してリスクを背負って手にした感覚である。

おそらく今の本業は、もし新しいほかの何かを手に入れたら、1ミリの未練もなくいとも簡単に捨て去れるだろう。

 

俺がしたいこと。

というより生きたい生き方はたった一つしかない。

 

自分で生きて生きたい。

 

それだけである。

自分でできる仕事を、というより自分で稼ぎたいという感覚に近いか。

では具体的な話、ということになるが、やりたくないことは山のようにある。

やりたいことはありすぎてわからない。

こんなところだ。

つまり、全く青春時代を卒業出来ていないということになる。

 

社会的にも価値が左右される30代前半、ここからが勝負だと思い、腰を据えて人生を考えるが、出てくる答えはいつも同じ。

 

バンドしたい。

 

唐突な展開で自分でも笑える。

しかしこれは真実で、俺は大学の時から卒業してもしばらくはバンドをしていた。

本気でそれでなんとかなってやろうと思っていた。

レコーディングして、初のツアーに出ようかどうかのタイミングで、メンバーが次々と抜けた。

その時にこう思った。

俺はこのままやっててもダメだ、何か定職に就かないと、と。

そして結局、大好きな音楽でさえも中途半端で終わった。まだ終わっていないというくらいに中途半端に。

 

今まで生きてきた上で、星の数ほどある中途半端のかけらが一気に俺の背中にのしかかって来た。そういう感覚である。

 

つまり、重い。何もしたくない。

 

これが死にたくないけど生きたくない状態。

最高に欲求不満な31年であったと言える。

 

自分のしたことを一つでも心から誇りたい。

満足したい。

 

そう思っているが、全く出来ない。

幸い友人には恵まれているので、その話をしてもいつもこう言われる。

 

お前はそんなに色々ともがいてやっているのに、何がダメなんだ?

何が不満なんだ?

と。

 

俺は何もやってないんだ。

認められないんだ。

 

ずーーーっとこのことで15年以上苦しんでいるんだ。