根無し草のスカポンタン

死ぬことすら気に食わねぇ

自信

上には上がある。これは無限にあるのだろう。

 

才能を持っていたり、バイタリティに溢れる人間と触れると、あまりにも自分の不甲斐なさが浮き彫りになり、死にたくなる。

 

ここ最近は行動あるのみということでひたすら2週間ほど動き続けたが、昨日のセッションを最後に一気に絶望と不安が押し寄せてきた。

今一緒に仕事している人間が、まさに上記のような人間だからだ。

 

俺は常に自信がない。

自信を持ちたい。

 

隣の芝

友人が出ている部隊に招待され、観に行ってきた。

 

内容さておき、俺はずっとそわそわしていた。

理由は単純で、俺自身が全く充実していないからだ。

周りが活躍するのはとても嬉しい。だが、それを見るのはとても焦る。それがしんどい。

自分のやっていることに、自分の力で意味を見出していきたい。このままへし折られたまま歩き続けるのは辛すぎる。

 

出会いとメンタル

最近ちょっと面白い出会いがあり、今その人と色々と仕事をしていこうという流れになっている。

正直金銭的にほとんどあがりはないが、新しいことをやっていくという上で精神衛生上とてもいい。

 

出会いとメンタルはとても俺には深く関係していると思った。

このことがあってまだ1週間ほどだが、それから落ちることがほとんどない。

新しいことをし続けていきたい。

もっと出会っていきたい。

 

頭の中にナイトメアが入り込む隙を与えないくらいに。

発熱とねむのき

熱が出た。

今日はねむのき美術館に行ったのだが、辛い体調でも見たいと毎回必ず帰省の際は訪れる。

 

ねむの木学園という様々なハンデを背負った人たちを受け入れる施設にいる人たちの絵画が飾られている。

その人たちのストーリーも展示してあったりして、その壮絶なストーリーに胸が苦しくなる。

自分の病名を聞かされ、日々泣き続けた

発作がひどいから、先生と体をロープでくくりつけて絵を描いた

など。それでも付け加えられていたのは、愛という言葉だった。

愛は痛いものだとつくづく感じる。

 

こういうストーリーの上で出来上がっている作品群だから、これはもはや絵というよりも、生き様や魂といった普遍的なものを表すもの…

なんというか、アートであると思う。

 

背負ってしまったハンデ。

しかしそれに絶望しながらも、生きるエネルギーを絵に消化する。

あまりにも生々しく、悲しくも美しくて、その凄みに見ていると汗が出てくる。

悲しみと美しさが混在する。

綺麗事では片付けられない、本物のアートがそこにあった。

 

やさしくね。

やさしいことは、つよいのよ。